HOME  >  みんなの声  >  せんねん灸訪問記:第1部 お灸による「セルフケア」普及の歩みを学ぶ

せんねん灸訪問記:第1部

はじめに

本年3/1に当校の卒業生をご紹介するFacebookの企画の中で、36期の佐々木理沙さんをご紹介しました。佐々木さんの職場は「せんねん灸」で有名なセネファ株式会社です。

セネファ株式会社は、「せんねん灸」の製造発売の中で日本の社会に「灸療法」を普及させてくださっています。この功績は大きいと思います。

今回、取材の許可をいただきましたので、夏休みに入って間もなくの8/4 に学生と一緒にせんねん灸銀座を訪問しました。

せんねん灸店舗

民間療法として根づいたお灸

鍼灸治療の一翼を担う「お灸」は、鍼とともに6世紀頃、朝鮮半島から日本に伝えられたといわれ、平安時代の貴族の日記や戦国時代の武将たち、江戸時代にはあの有名な松尾芭蕉の『奥の細道』にも記録が残っています。
明治時代に西洋医学が導入されて、それまでの伝統医学は非正統医学として存続の危機に立たされますが、お灸は民間療法として広く普及していき、家庭におけるセルフケアがしっかり行われていたようです。

今の若い患者さんからも、おじいちゃんやおばあちゃんがやっていた、とか手伝わされた、という話を聞きます。

しかし1958(昭和33)年に国民健康保険法が制定されて、「誰でも」「どこでも」「いつでも」保険医療を受けられる体制が確立して以降は病院に依存する傾向が強くなり、次第にセルフケアを忘れてきてしまっていると私は感じています。

お灸が受け入れられにくい理由

中国の伝統医学は、知らない人にとって「鍼は痛い」「お灸は熱い」というマイナスなイメージがつきまといます。患者さんにお灸を勧めても「火を使うから危ない」、「煙がこもる」、「臭いがきつい」、「灰で汚れる」、「ひとりじゃできない」、「痕が残る」などという理由で受け入れてくれないことがあります。

大変もったいないことですが、そういう現実があるのは事実です。

現代にマッチしたせんねん灸

このような患者さんのもつマイナスなイメージに対して、いろいろな工夫を重ねて現代にマッチしたお灸をつくりあげ、さらに昔からのセルフケアを復活させる努力をされている「せんねん灸」。創業から数十年の歴史をご紹介しましょう。

せんねん灸はこうして誕生した

せんねん灸の創業者は押谷晴氏です。 伊吹もぐさで有名な滋賀県東浅井郡浅井町野瀬に1914年(大正3年)に誕生されました。

ご生家はもともと伊吹もぐさの販売をされていたのですが、晴氏は戦後の1949(昭和24)、35歳の時に積極的にもぐさの行商を始められ、1954年(昭和29年)には、業界初の線香つき函入もぐさを新発売されます。

何気ない「線香つき」ですが、もぐさに火を点けるのに線香を使うは当たり前のことでも、初めての人にはそれすらもわからなかったはずです。初めて使う人の身になって「線香」をつけるという発想が、のちの「せんねん灸」に発展するのだと感じました。

そして1965年(昭和40年)に社名を「総本舗・千年堂」とされ、1970(昭和45)、56歳の時に、棒温灸「せんねん灸琵琶湖」を新発売され、ブランド名「せんねん灸」を世に出しました。

せんねん灸

さらに1973(昭和48)年には澱粉で作った台座のついたお灸、その3年後の1976(昭和51)にはその台座に紙パルプを使用されて、世界ではじめてのお灸と評価された「せんねん灸伊吹」が発売されました。

原因不明の病に苦しむ

以上の経緯は会社の沿革から見たものですが、今私たちの知っている「せんねん灸」は、「棒灸」から「でんぷん台座」、「紙パルプ台座」という過程を経て誕生してきたようです。

その間に、創業者の押谷晴氏に何があったのでしょう?
1983(昭和58)年出版された「ひとりで出来るお灸大革命」(押谷晴著 サンケイ出版発行)には、次のようなことが書かれています。

押谷氏が体調を崩されたのは、40歳頃のこと、四国に出張された旅先で突然目がくらみ倒れてしまわれたということです。それを契機にどんどん体調が崩れて、歩くこともままならないような状態になったが、仕事は休むわけにはいかない。病院も転々とまわられたが、病名も原因もわからず、病状は悪化する一方。
そんな状態が4、5年続いたということです。

生業のお灸を見直す

そんな時、ご近所の方からお灸を勧められたそうです。押谷氏はお灸屋さんなのですが、生来の頑強な身体に頼りきってお灸を据えることはほとんどなかったということです。

それから京都の鍼灸院まで週1回の通院と、奥様の手によるご自宅での施灸を続けられ、3か月頃から徐々に症状は改善の徴候をみせ、6か月過ぎには全快されたのです。数年続いた症状が嘘のように消えて、その後再発することはありませんでした。
それは、その後もお灸を続けたからでしょうか? ところが違うのです。

もうお灸はしたくない!

病状が全快されると押谷氏は、7か月も続けたお灸をやめてしまいました。
何故なら「あの熱さには耐えられない」、全身に残ったお灸の痕を見ると「もう、お灸はしたくない!」と切実に思われたそうです。

なんとも人間的ですね。そうしてこれまで聞いてきた「熱い」、「痕が残る」、「他人の手をわずらわせる」というお灸へのマイナスな評価が痛いほどわかり、そこから新しい「せんねん灸」への挑戦が始まるのです。

また押谷氏は、戦後シベリア抑留のご体験もおありで、極寒のシベリアで病に倒れていく方々を見ながら「お灸があったら!」という切実な想いもその背景にありました。

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