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先生のコラム

それは光のようにゆっくり流れるもの

小林由紀恵

実は私、鍼灸師なんです。鍼灸学校を出て、免許を取りました。
国家試験で、国家資格です。
「では、鍼灸が好きなのか?」と聞かれたら、私は「まぁ・・・・・・はい」と答えます。
「ならば、東洋医学が好きなのか?」と聞かれたら、私は「まぁ・・・はい」と答えます。
「じゃあ、何が好きなのか?」と聞かれたら、私は・・・・・・何と答えるだろう。何が好きなのだろう。
即座に答えが出てきません。・・・よし。せっかく答えに詰まってみたので、少しちゃんと、考えてみることにしました。何も好きじゃないわけじゃない。確かに、“何か”が好きなのです。だから、ここにいられるのです。

「私は何が好きなのだろう」

んーーーーーー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 ・・・今まで習ってきたこと、やってきたこと・・・・・・。鍼、灸、治療、脈診、腹診、東洋医学、刺法、証、臓腑、五行、陰陽、太極・・・・・・いろいろ、ある・・・・・・。・・・んー・・・・・・。

というところまで考えて、思い出しました。

私、「東洋の考え方」が好きなんだった!

なんだか、いろいろな方面の方に怒られてしまいそうなことを書いてしまいましたが・・・まぁ、いっか。
そう、私は東洋の考え方が好きなのです。

東洋の考え方、つまり、東洋哲学。ちゃんと解っているのか、深く知っているのかと言われたら、私はちゃんと解っていないし、深くも知りません。なんとなくしか解らないし、大まかにしか知りません。でも、好きなのです。

東洋哲学を知るということは、流れを知ることだと、私は思っています。
自分の流れであったり、周りの人の流れであったり、仕事の流れであったり、季節の流れであったり、世界の流れであったり…。色々なものの中にある流れを知ることで、その流れに対応することができる。
対処することは難しくても、対応し、受け入れることができるのです。
流れと知ってそれを受け入れることができれば、心穏やかでいられます。

これを知ってから、私はずいぶん楽になったような気がします。
といっても、私はまだまだ非の打ち所のない完璧な未熟者なので、後悔することも暴走することも多々あります。多々多々あります。ですが、それでも、知らなかった頃よりは知ってからの方が安らかなのです。許せることが多くなったような気がします。
それは、「諦め」ではありません。「許せる」心なのです。

流れに身を委ねよ 何事にも流れが存在する それが見えれば負けはなく 勝ちもない

ずいぶん昔に知った言葉ですが、知ったその時には、私には意味を理解できませんでした。
「良さそうなことを言っている」ということだけは感じ取れたのですが、それだけでした。
意味を知ったのは、東洋哲学を学んだ後になります。「良さそうなこと」どころではなかったです。計り知れない言葉でした。

そんな東洋哲学の一部に、「気学九星」というものがあります。
これも、私が心穏やかになれた要因のひとつ。
「気学九星」とは人の生まれ持った性質をみるものなのですが、いやぁ、これは学べて本当に良かった。人間関係に直結しますからね。
「なんで、この人はこんなこと言うのだろう」とか、「どうしてそんな酷い態度で接してくるの」等という苦しみが、一気に吹き飛びました。風の前の塵のように、もう笑っちゃうくらい、一気にパァッ!っと。
「ああ、だからそんなこと言うのか」、「ああ、だからこんなことするのか」と、むしろ行動に納得です。

おかげで、基本的に「嫌いな人」というのがいなくなりました。
とはいえ、私も一応人間なので苦手な人はまだおりますが、でも、苦手だけど受け入れられます。
「あはは、この人苦手だなー♪」という感じに。「苦手」だから「嫌い」という風にはならなくなったのです。
「苦手」は「苦手」、ただそれだけ。
そのうち、その苦手な人の苦手な部分が「かわいいなー」とさえ思えてくるようになりました。「苦手」だけど「好き」なのです。「そういう風になっているんだ」と気付けてしまうと、嫌なことはなくなるのだとわかりました。
自分や他人を「諦める」のではなく、ありのままを「受け入れて」、「許せる」こと。これも、“流れ”を知れたということなのかもしれませんね。

よく「東洋医学は身体にやさしい」といいますが、それは、東洋医学の根本にある東洋哲学がやさしい学問だからなのではないかと思います。
身体にだけじゃなく、心にもやさしい。それが、「東洋医学」と呼ばれているもの。
でも、単にやさしいだけではありません。やさしさは時に厳しさにもなります。やさしさは厳しさ、厳しさはやさしさ。両方あってこそ、初めて本質が見えてきます。
片方だけでは駄目なのです。その両方とも受け入れること、流れを知ることが鍼灸師にとって、いえ本来、人にとって大切なことなのではないかと思うのです。

・・・・・・などという大言壮語なことを書き連ねてしまいましたが、
皆様の深い深いお心で「受け入れて」、「許して」いただければと思います。

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