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先生のコラム

鍼灸師という仕事

中谷哲

20年近く前の話しである。あるお宅からの電話で、往診に出かけた。電話は、たぶん患者さんのお連れ合い。「おじいさんが、足に力が入らなくて、歩けないので、来てほしい。」ということだった。
当時、駆け出しも駆け出し、私は、無我夢中で治療をして、その日は、帰途についた。

何度かお宅に伺っていると、ある日、その老夫婦の娘さんだろうか、玄関先で顔を合わせた。「おじいさんに(治療)ですか?」と怪訝な顔で問われた。「そうです。」と答えた私は、そのまま家の中へ、そして、いつもの通りに、下手な鍼をして、帰ったのである。
そうこうしているうちに、患者さんのおじいさんは、なんとか歩けるようになり、終いには、治療院まで歩いて通えるようになった。

ここまで聞くと、ただの治療自慢のようだが、実は、そうではない。むしろその反対である。
当時の私は、今、勢いで治療などと書いてはいるが、治療とは、程遠い、見た目は鍼灸みたいな、何だかそんなようなことをしていた。今にして思えば、鍼の腕も、灸の腕もなく、身体を読むこともできない鍼灸師なんて、丸腰で紛争地帯に乗り込む自衛隊のようなもので、活動する以前の問題なのだが、無知、というものは、時に、恐ろしく勇敢になったりするのである。

一昔を何年とするかは、結構曖昧で、人に因りけりであが、十年一昔とすれば、二昔、この鍼灸の世界を見てきて、鍼灸師として生きるうえで、何が一番必要なのかと、問われれば、いの一番に、根拠のない自信、と答えてしまう。もしかしたら、世の中すべてが、根拠のない自信、で満たされているのかも知れない。だいいち、根拠など求め回っていては、にっちもさっちもいかない。世の中に結婚する人なんかいなくなるだろう。
何の話だ?そうそう、つい先日も、ある鍼灸師の講演があるというので、聞きに行ってきた。敢えて詳しくは、語りたくないが、私は、その勇気を讃えたい。恐怖とは、得体の知れないもの、ばかりではないことを、この時に知った。

さて続きである。結局何度か治療院で、治療を続けた後、おじいさんは、ぱったりと、来なくなってしまった。そのあと約一月ほどたったある日、地区の回覧板で、そのおじいさんの訃報をしることになる。

真実はこうである。
そのおじいさんは、大腸癌であった。それも、もう末期で何の手の施しようもない状態であった。
自宅で安静にして居たのだが、徐々に歩けなくなってきた。 そして、大腸癌であるということは、本人には、伝えられていなかった。
単に寝ていたことから、ただ歩けけないようになってしまった、と思い込んでいたおじいさんが、おばあさんに頼んで、最近開業したばかりの、ヘッポコ鍼灸師に往診を依頼したのである。
そして、勇気のあるヘッポコ鍼灸師は、その裏に潜んでいる重大な事実に、まったく気付きもせず、笑顔で治療に向かったのであった。

そう、始めに出てきた娘さんの、怪訝な顔を思い出して欲しい。のこのこ、しかも、偉そうに。
優しい恩師は、死に花を咲かせてあげたんだよ。と慰めてくれたが、無知、であった。
その時の自分は、今になって、いくら嘆いてみても、変えようがない。

それから、およそ二十年、幾多の失敗が、放っておけば消えて無くなりそうな向学心を、なんとか呼び起こし、経験を詰むごとに、それなりに鍼灸師っぽくなってきている。のだろうか?
さて、ここで、これから鍼灸師を目指そうとしている諸君に、僭越ながら、一言アドバイスさせていただく。
先生のする一つ一つの動き、発する一言一言を、見逃してはいけない。
なぜなら、その裏には、数え切れない、涙、涙の経験があるのだから。

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